新選組のふるさと「日野」に行ってきました。

少し前の話になりますが、ゴールデンウィークに東京都日野市へ行ってきました。

日野といえば、新選組副長の土方歳三や六番隊組長の井上源三郎が生まれ育ち、また局長の近藤勇が江戸から度々出稽古に訪れたなど、まさに新選組の故郷と呼べる土地です。

というわけで、今回はこの史跡巡りのレポートを。




土方歳三資料館へ

まずは立川から多摩モノレールに乗り換えて、土方歳三資料館へ。
ここは土方家の子孫の方が運営されている資料館です。

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ご自宅の一角を利用した資料館です。入り口に銅像が見えますね。

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当然表札も土方さん。

中に入ると老若男女さまざまな人で賑わっていました。
さすがにここに来る人は皆さん歴史に詳しく、「宇都宮の戦いで…」とか「この史料は…」など、あちこちから会話が聞こえてきます。ワンフロアの展示室が凄い熱気でした。

今回の大きな目的だったのが、歳三の命日に合わせて毎年ゴールデンウィーク前後に行われる、彼の愛刀であった「和泉守兼定」の刀身展示です。
この刀は新選組を抱えていた会津藩の藩主・松平容保より京都で下賜されたもので、京都〜箱館まで歳三と共に戦い抜いた正に相棒と言えます。

そもそも日本刀という物自体がそうなのかもしれませんが、この刀を見た時、何とも言えぬ圧倒感がありました。
元の持ち主のことをよく知っていたから、尚更かもしれません。
(館内は撮影禁止なので、写真は無しです)

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出口付近には、歳三が幼い頃武士を夢見て植えたという矢竹が、今もなお燦然と葉を付けていました。

土方歳三資料館 公式サイト
http://www.hijikata-toshizo.jp
※毎月の開館日が決まっているので、行かれる際は必ずご確認を。

土方歳三の墓所・石田寺(せきでんじ)へ

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土方歳三資料館を後にし、せっかくなので彼の墓所・石田寺にも行ってみることにしました。

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境内の中に墓地があり、その中に歳三のお墓がありました。しかし、遺骨は箱館の戦いの混乱の中行方不明になり、ここには埋葬されていません。
余談ですが、当時の史料にもある通りこの辺りは土方姓の家が多く、墓地の中も土方姓の墓石がたくさんありました。

俗名土方歳三義豊
明治二年五月十一日
箱館一本木関門に於て戦死
享年三十五才

と彫られています。

さらに側面には

歳進院殿誠山義豊大居士

の戒名が彫られています。
京都〜箱館まで歳三と共に戦い抜いた新選組隊士の島田魁が、この戒名を書いた紙を終生肌身離さず持ち歩いていた話は有名です。

石田寺については、日野市観光協会のサイトをご覧ください。
http://shinsenhino.com/archives/spot/temple/050322015209.php

最後は高幡不動尊へ

少し距離がありますが、高幡不動尊まで歩いてみることにしました。
(多摩モノレールで1駅の距離です)

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途中で見かけたゴミ受け入れ反対ののぼりも新選組仕様。立派な日本家屋ですね。

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浅川を渡り、旧石田村をあとに。
子供の頃の歳三が、家伝の薬「石田散薬」の原料を採るにあたり、この川の河原で人々に見事な指示を出していた話が残っています。

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途中、小川が流れていました。

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高幡不動尊は想像していた以上に大きな神社で、背後には山(都立多摩丘陵自然公園)もそびえています。

ここには歳三の義兄である佐藤彦五郎が中心となり、明治時代に新選組の顕彰・復権を願い建立された「殉節両雄之碑(じゅんせつりょうゆうのひ)」が立っています。「両雄」とはもちろん、近藤勇と土方歳三のことを差しています。

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表面が削れほとんど文字が読めない箇所もあり、年月を感じさせました。

こうして彼らを慕いたくさんの人が訪れていることからも、彦五郎の願いは叶ったと言えると思います。

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その隣には、土方歳三の銅像が並んでいます。現存している写真が洋風の軍服を着ているので、和装の銅像は新鮮な印象を受けますね。

高幡不動尊のサイト
http://www.takahatafudoson.or.jp

毎年ゴールデンウィークの翌週には、仮装パレードなども行われる「ひの新選組まつり」が開催されますので、興味がある人は一度行ってみてはいかがでしょうか。

参考ページ(Wikipedia)
日野市
高幡不動尊
新選組
土方歳三
近藤勇
井上源三郎
沖田総司
松平容保
島田魁
佐藤彦五郎
和泉守兼定